しかし、そううまくいくはずもなく、創業時は営業に関してはとても苦労しました。 資金もコネもない状態での起業でしたので、ゼロからコツコツと営業をしたのですが、うまくいきません。 営業の仕方を理解しておらず、とにかく闇雲に何かを作っては電話営業や飛込営業をしました。 電話帳の上から順にひたすら電話するというありきたりの手法です。 当時、メールスターというメールを扱うシステムを販売していましたが、まったく売れませんでした。
話を聞いてくれる方に出会ったとしても、「キミ、歳はいくつなの?」や「実績あるの?」というような質問ばかりで、 当時の私たちにとって、もっとも答えにくく、そして回避できない壁の1つでした。 「実績を作る」ための営業なのに、その場で「実績は?」といわれるとどうしようもないのです。
コネもない中、営業しても売れない、でも資金には限界がある、その上、「実績あるの?」や「キミ、歳はいくつなの?」のような質問があり、 なかなか決まらない、そんな矛盾だらけの中で、とにかく闇雲に走っていました。
ちなみに、個人的なことですが、私(荻野永策)は、大学の卒業とALUHAの起業、結婚を同時に行いましたので、 そのころから家族を養うという重圧の中で戦っていました。 当時、子供はいませんでしたが(今は娘が二人います)妻と一緒に朝のチラシ配りをするなど、何が本業なのかわからないくらい大変でした。 上述したように、営業がうまくいかないので、創業1年目は年間で売上100万円しかありません。 家族を養えるはずもなく、お金がない中、あせりと不安だけが私を、そして会社をつぶしていくような、そんな日々を過ごしていました。